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(仙石と堀)
「京ちゃん」
と、呼びかけると、人ごみに紛れていた茶色い頭が振り返る。毛先がまるまると丸まっていて、いつかの背中とは少しちがう。そういえばパーマをかけてから、毛先が少し傷んだような気がした。前に触ったとき、枝毛が一本あった。
こちらを見る大きい目の、瞳の中に俺がいる。この人と対峙すると時々、俺はこの人にきちんと認識されているか不安になる。いまだかつてあんた誰と言われたことも名前を間違えられたこともないのに(髪を切ったときを除いて、だ)、なぜか初めましてとか言われそうな、そんなへんな気分に。
「なによ」
声音は、いつもどおりだった。俺が呼びかけて、上機嫌に返事されたことなど数えるほどしかない。四割不機嫌で、一割ものすごく不機嫌で、五割どうでもよさそう。今回のいつもどおりとは、残りの五割を差す。いやでも、今回はホンの少し機嫌が悪そうな。聞こえ方とかではなく、雰囲気が。
「別に。用はなかったけど」
「はあぁ?」
不思議というか、やっぱり不機嫌そうな声が上がる。隣に並ぶと、少し低い位置にある瞳がこちらを見た。当たり前に歩き出す京ちゃんの歩調に合わせて、歩く。隣に並ぶとわからないのに、後ろから見るとこの人はやたらと姿勢がいい。
いや、ほんとに、用はない。ただ今日は、レミもいなくて、桜もいなくて、ほかに誰かに声をかけるつもりもなくて、歩いていたら、同じく宮村くんのいない京ちゃんを見つけたから、声をかけただけ。ただそれだけ。
ごみごみとした人の中に、京ちゃんが立っていたから。別に何の用事もないし話すこともなにもないけど、なんとなく声をかけていた。腐れ縁というものがあるならきっと、ここにあるのだろう。
「ねえ、ちょっと」
「なに」
ちょっと、と言いながら細い指先を動かして、京ちゃんが手招き。それについていくと、大型のショッピングモールに誘導された。波打つように、人が行く。溺れてしまいそうな。
同じように、学校を終えたのであろう学生が、ありとあらゆる制服を着崩して波を作る。作っている。時折そこに、社会人や子供が混ざる。波を、京ちゃんはうまく抜ける。乗っている、のほうが正しいのだろうか。
「ちょっと、どこ行くの」
くるくる、まるい毛先が跳ねる。
「京ちゃん」
「るっさいなぁ、欲しい本があんの」
「別にここじゃなくても……」
本屋へ向かう道すがら、波に呑まれそうになる。人は尽きない。いろんな色が混ざって、視界がちかちかする。見慣れた茶色を追いかけるのに、波がそれを邪魔して、このまま流刑地にでも流されそうな気がしてくる。
人が。
たくさんの人と、色が、たくさん、
「仙石」
は、と息継ぎをするように口を開くと、跳ねる毛先と瞳を見つけた。京ちゃん、はやいよ。ちがうわよあんたが遅いのよ。いやちがうよ京ちゃんが。
からがら、隣に並ぶ。相変わらず少し低い位置から、彼女の瞳が俺を見る。目を引く、特別ななにかがあるわけではない。特別背が高かったり、低かったり、細かったり、太かったり、そういうわけでももちろんない。それでもそこにしゃんと立つ彼女の姿を、なぜかすぐに見つけてしまうのはなぜなのだろう。少し考えたけれど、それらしい答えは見つからなかった。なぜなのだろう。なぜなのだろう。
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